Disability障がい者採用

社員紹介 特別インタビュー

法務部門

M.Hirata

2006年入社

障がい内容
両下肢機能障がい

真のダイバーシティとは、それを意識することなく、多様な人たちと自然に交わりあえること。日本におけるシティの企業内弁護士として、法務やコーポレート・ガバナンスなどに従事する平田氏はそう力説します。若い頃にアメリカで過ごした経験を振り返りながら、日本、そしてシティの障がいのある方に対する現状、そしてダイバーシティに対する考えについてうかがいました。

公平であること、偏見を持たないこと。
米国はその真意を教えてくれた。

米国に留学をされていたそうですね。

留学前、私は日本の大学の法学部に通っていましたが、19歳のときに交通事故にあい、両足が不自由になりました。当時(1980年代)の日本は、今とはまったく違って車椅子に乗ったまま利用できる公共交通機関も整備されておらず、障がいのある人にとってアクセスのよい街ではありませんでした。ですから日本で学生を続ける道は、ほぼ閉ざされてしまったのです。ところが、その頃、車椅子を使って生活する人々に関するアメリカのドキュメンタリー番組を目にしたのです。彼らは健常者とまったく変わらない生活を送っており、自信にあふれていました。そのときに「私もアメリカでなら、新たな道を見つけられる」と思ったのです。結果、学士号と修士号はボストンの大学で、法務博士号は他大学のロースクールで取得しました。

大きな事故を経験した後も、夢を追い求められたのですね。

入院生活は2年間にもおよびましたが、その間も小学生の頃からの夢であった、弁護士になりたいという気持ちは失いませんでした。私のモットーは「いつでも最善を尽くす」です。勇気、完遂するための決意、忍耐力は、どんな状況に置かれても大切にすべきです。実は、入院中にずっと障がい者として扱われることにうんざりしていたことも、渡米した理由のひとつです。私はそんな風に意識されず、ただ自分らしく、自由でありたかった。そのためにも家族と離れ、あらためて学業に戻り、自立するべきだと思ったのです。そういった意味では、ボストンでの学生生活こそが、私にとっての本格的なリハビリのスタートになりました。

渡米後、ご自身に変化はありましたか?

事故に遭う前の私は、両親をはじめ常に誰かを頼っていましたが、渡米後はしっかり自立することができました。私自身が行動しなければ、誰も私を助けてはくれないと知ったのです。私の人生を変えることのできる唯一の人間が私であることを、米国では学びました。
それに米国では「(どんな人間に対しても)公平であること、偏見を持たないこと」の真の意味に気づかされました。日本ではこういった価値観は、いまだ完全には浸透していないかもしれません。私も事故に遭わなかったら、ダイバーシティという価値観を受け入れられない、心の狭い人間になっていたかもしれませんね。

障がいがあるからといって、
特別扱いされたくはない。

障がいのある方にとって、米国が進んでいるのはどういった点でしょうか?

米国には「障がいを持つアメリカ人に関する法律」があるので、レストランや劇場といった公共の場には、障がいのある人のためのアクセスが整備されています。この法律のおかげで、特別な予約はせずとも、自由に出かけて楽しい時間を送ることができます。たとえばロスの空港でレンタカーを利用したとしても、足が不自由な人が運転する際に必要な装置は、その場で設置してくれます。予約は不要です。ホテルなどでも同様です。さまざまな設備の確認やアレンジは必要ありません。けれども日本との一番の違いは、人々の態度や姿勢にあるように思います。日本人はみんな親切で、私が何か助けを必要としていないかと、気づかってくれますが、実際のところ私がどんな助けを必要としているのかはわからないといった状況です。また「何かをしてあげる」という気持ちが強いように感じます。一方、米国では私が助けを求めれば応じてくれますが、そうでなければ私のことを特別視しません。「たまたま車椅子を使っているだけで、基本的に私たちと同じ」といった風なのです。誰もが同じプラットフォームに立っている。努力すれば成長できるし、そうでなければそれまで。長く米国にいたせいか、私自身にはそんな障がい者に対するアメリカの風土のほうが肌に合っているのかもしれません。助けが必要であれば伝えますし、それ以外のときには特別扱いはされたくありません。

個々の違いより大事なのは、
能力、やる気、働く意志。

平田さんにとって真のダイバーシティとは何でしょうか?

「ダイバーシティをまるで意識せずとも、多様な人たちと一緒に働ける」ことです。私は、能力、やる気、そして仕事に対する前向きな姿勢がある限り、個々のキャリアの妨げになるものがあってはならないと思います。その人の特徴を見るのでなく、能力、やる気、働く意志を見る。それらの資質のほうがずっと重要です。障がいがあるから採用された、女性だから昇進した、といった風であっては悲しいじゃないですか。もちろん、ご存知の通りシティの人たちはそういった形で同僚を見たりはしません。能力と仕事に対する姿勢が正しければ、どんな人でも受け入れる。その懐の広さこそが、シティの素晴らしさだと信じています。

シティはどのような職場だと思われますか?

シティは非常に優れた環境だと思います。それは「障がいのある人にとって」という意味ではありません。「何かを成し遂げようという意欲のある人にとって」です。責任をもって自分の仕事をまっとうする人に最適な仕事がたくさんあるし、ここには未来がある。仕事をきちんと遂行しさえすれば、個人を尊重してくれる環境です。シティの環境や、同僚のスタンスは、米国にいたときのそれによく似ています。幹部の方たちは私を特別扱いしません。そういった意味でも、シティはダイバーシティをよく実践できています。社員のさまざまな特徴が、あたかも見えていないかのような形で、互いに接し合っていますからね。

シティへの就職/転職を検討している方へのメッセージをお願いします。

見ず知らずの新しい環境に飛び込むのは、常に勇気が要ることだと思います。特に、身体に障がいを持った者が、シティのような外資系金融機関の門を叩こうとする時、不安から尻込みするかもしれません。では、果たして、シティはどのような人材を求めていると思いますか。有名大学でMBAを修め、英語がペラペラで、金融の知識に富み、いかなるプレッシャーにも耐え得る肉体的にも精神的にも強靭なバンカーをイメージしていませんか。もちろん、そのような社員も実在していると思います。しかし、私の過去数年間におけるシティでの体験から申し上げると、私たちが求める人材とは、「隣に座って一緒に仕事をしたいと思わせる人」だと思います。「隣に座って一緒に仕事をしたいと思わせる人」とは、約束を守り、同僚の話を聞き、所属部署を超えて共に仕事ができる、「責任感のある人」だと思います。このような人ならば、学歴、語学力や専門知識は、身体の障がいと同様、単なる個性の一つに過ぎなくなります。様々な個性を持った人材が、お互いの個性を認め合い、且つ、協力し合って仕事をするのがシティの文化なのです。最後に、論語に「子日譬如為山未成一簀止吾止也譬如平地雖覆一簀進吾往也。」という言葉があります。山を造っていて、あと一歩の所で止めるのも自分だし、土地を均すのに、初めの一鍬を入れるのも自分しかいないという意味です。困難に直面した時、家族や友人が応援してくれるでしょう、しかし、初めの一歩を踏み出せるのは、他ならぬ、自分しかいません。是非とも、シティにチャレンジしてみてください。